第15号

特集 1. 浮上する日本国憲法破壊構想

    2. 戦時期の航空機工業と疎開地下工場

岡山・十五年戦争資料センター
第14号
 表紙の写真:一式陸上攻撃機の製作と動員された学徒/水島航空機製作所は一式陸上攻撃機513機・紫電改9機を製作。そのため岡山県内の中学生・女学生などが動員された。(本誌 特集2参照)

発 行:岡山・十五年戦争資料センター 
発行日:2013年7月1日
B5判、219頁
頒布価 1000円

第14号

特集 東日本大震災・福島原発事故から見えてきたもの

岡山・十五年戦争資料センター
第14号
 表紙の写真:水島航空機製作所の疎開工場として敗戦前に掘削された。岡山県内最大の戦争遺跡。平和のシンボルとして保存・公開の運動が広まっている。(本誌152頁参照)

発 行:岡山・十五年戦争資料センター 
発行日:2012年07月01日
B5判、157頁
頒布価 800円

第13号

特集:表現の自由と統制  ― 十五年戦争開始から八〇年

岡山・十五年戦争資料センター
第13号
 表紙の写真:1930年(上)と1942年(下)の岡山市街地図。第17師団(1925年以降第33旅団)衛戍地は、軍機保護法により地図から消去された。
(「地図で読む戦時期の岡山(1) ―地図から消された軍事施設 (岡山市)―」(本誌20頁~30頁)

発 行:岡山・十五年戦争資料センター 
発行日:2011年07月01日
B5判、132頁
頒布価 800円

第十二号

特集:韓国併合一〇〇年・安保改定五〇年

岡山・十五年戦争資料センター
第十二号
表紙の写真: 第110師団歩兵第163連隊の兵が所蔵していた写真(1939年8月15日撮影)。同師団の警備地である中国華北部の「京漢線」を運行していたと思われる。列車の窓からのぞく兵の顔と腕だけが浮かび上がって見える。
発 行:岡山・十五年戦争資料センター 
発行日:2010年07月01日
B5判、112頁、
頒布価 800円

第十一号

特集:可視化する「思潮」  空爆/慰霊・国民保護・和解・田母神問題

岡山・十五年戦争資料センター
第十一号
 表紙の写真:戦時期、軍用機需要に応えるため倉敷市水島に三菱重工業水島航空機製作所が設立。従業員らの住宅が約4800戸建造されたが、戦後、亀島山南西一帯の住宅には在日コリアンが移り住み、民族色豊かな祭りも行なわれた。
発 行:岡山・十五年戦争資料センター 
発行日:2009年07月01日
B5判、134頁、
頒布価 800円

第十号

特集Ⅰ:亀島山地下工場はいま 特集Ⅱ:中国残留孤児問題

岡山・十五年戦争資料センター
第十号
 表紙の写真:倉敷市水島にある亀島山の地下には、主要隧道5本と支洞28本からなる総延長約2000メートルの長大な地下工場跡が残っている。一式陸上攻撃機を製造した三菱重工業水島航空機製作所が空襲を避けるために掘削した疎開工場の一つである。(特集1「亀島山地下工場はいま」を参照) 。
発 行:岡山・十五年戦争資料センター 
発行日:2008年03月01日
B5判、148頁、
頒布価 1000円

第九号

特集Ⅰ:私の「国民学校」時代 特集Ⅱ:新たな戦争への国民動員

岡山・十五年戦争資料センター
第九号
表紙の写真:在郷軍人会射撃訓練風景
1939年4月3日 月曜 半晴 寒冷 郷軍射撃会 午後青年団・国婦・女子青年団等参加 盛会ナリ(道哉)射撃会出席(幸枝)
 婦人会・女子青年団は着物のうえに白いエプロン姿で、それぞれ大日本国防婦人会、大倭村女子青年団と記した襷をかけている。(詳細は152頁参照)

発 行:岡山・十五年戦争資料センター
発行日:2007年03月01日
B5判、148頁、
頒布価 1000円

第八号

特集:有事法制下で何が起こっているか

岡山・十五年戦争資料センター
岡山の記憶
表紙の写真:吉備修練道場大講堂前での来賓と教職員
吉備修練道場は、1944年頃、岡山市西花尻の現岡山県古代吉備文化財センターの場所にあった。戦意高揚のため、延べ約8000名が集められて修練が行われた。写真は軍の高官を招いた時のもの。名前が分かるのは、白装束の後列左から3人目が平松菊郎道場長と同前列左 1人目が難波三郎職員のみである。(詳細は本誌第2号参照)

発 行:岡山・十五年戦争資料センター
発行日:2006年03月01日
B5判、124頁、
頒布価 800円

第七号

特集:非戦六○年 和解への軌跡

岡山・十五年戦争資料センター
岡山の記憶
表紙の写真:玉野の日比製煉所に強制連行された中国人。
1944年8月から船中死亡1名をのぞく中国人132名を使役し、敗戦までに病死24名、事故死1名を出した。外務省外交資料館の03年7月18日公開資料の中から敗戦直後に同所が作成した『華人労務者就労顛末報告書』が見つかった。この写真はその中にあった(詳細は3頁)

発 行:岡山・十五年戦争資料センター 
発行日:2005年03月01日
B5判、144頁、
頒布価 1000円

第六号

特集:いまだ清算されない戦争被害(1)戦後補償 (2)和解

岡山・十五年戦争資料センター
第六号
 表紙の写真:津山の吉井川河川敷でグライダーの訓練をうける「大日本飛行少年団」。
陸軍少年飛行兵や海軍飛行予科練習生を志望する小学校6年生、同高等科1・2年生などが「戦時特別航空訓練」に参加。入隊後の練習期間を短縮し、「特攻」などで戦死の激増する飛行兵をおぎなうためであった。

発 行:岡山・十五年戦争資料センター
発行日:2004年03月01日
B5判 110頁
頒布価 800円
 

第五号

 

岡山・十五年戦争資料センター
第五号
表紙の写真:1907年、日露戦争後の軍拡により第十七師団が岡山に創設され、多数の青壮年を、侵略と植民地支配の尖兵として、徴集し、教育・訓練し、アジアの国々へ送り出した。 その中枢である師団・歩兵第33旅団・岡山連隊区・岡山地区の各司令部がコの字形をしたこの建物におかれた。 戦後、岡山大学に移管され事務局棟として使用されていたが、2002年10月に解体されることになったため、当資料センターなどの保存申し入れで、両翼を切断解体後、正面玄関部分のみが移設された。(120頁参照) 

発 行:岡山・十五年戦争資料センター
発行日:2003年03月01日
B5判 122頁
頒布価 800円

第四号

 

岡山・十五年戦争資料センター
岡山の記憶
  表紙の写真: 中国河北省保定市易県にのこる望楼。岡山編成の歩兵第110連隊は易県に本部をおき、抗日根拠地にたいする燼滅・掃討・粛正作戦(中国側は「三光作戦」と総称)に参加していた。日本軍は中国人を酷使して多数の望楼を構築したが、現在ではほとんどが消滅。写真の望楼は、ほぼ現形をたもち、当時の様相を伝える希少な戦争遺跡である。21・29・147頁参照。  (撮影:上羽 修)
発 行:岡山・十五年戦争資料センター
発行日:2002年03月01日
B5判 154頁
頒布価 1000円

第三号

 

岡山・十五年戦争資料センター
岡山の記憶
 表紙の写真:写真は、41センチ榴弾砲砲搭陣地、世界最大。
日本軍は中国東北部の傀儡国家「満州国」と旧ソ連との国境に巨大地下陣地を構築した。1941年「関東軍特種演習」のもとに旧ソ連への進攻を企図。沿海州のシベリア鉄道イマン鉄橋破壊を目的としたこの巨砲は虎頭要塞のシンボル的存在であった。
最近、戦跡考古学の市民グループと中国との共同調査が進み、虎頭要塞は平和のシンボルとして生まれ変わりつつある。詳細は108頁。  (撮影:上羽 修)

発 行:岡山・十五年戦争資料センター
発行日:2001年03月01日
B5判 112頁
頒布価 800円

第二号

 

岡山・十五年戦争資料センター
岡山の記憶
 表紙の写真写真は、元「将校集会所」の建物。
1907年(明治40年)岡山に陸軍第17師団が創設されたとき、輜重(しちょう)兵第17大隊(のち工兵第10大隊、工兵第10聯隊、工兵第54聯隊)の将校のクラブハウスとして建てられた。
軍エリートの果てない夢の跡は、戦後岡山大学に移管され、同職員組合事務所として反戦平和の拠点となった。1998年、戦跡保存の声も盛り上がらないまま取り壊された。         (撮影:上羽 修)

発 行:岡山・十五年戦争資料センター
発行日:1999年11月27日
B5判 112頁
頒布価 1000円

創刊号

 

岡山・十五年戦争資料センター
岡山の記憶

発 行:岡山・十五年戦争資料センター
発行日:1998年11月28日
B5判 84頁
頒布価 800円
(創刊号は販売中止しました)