岡山・十五年戦争資料センター
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サイトマップ
地図で読む戦時期の岡山(1)
〝壁の物言う〟 時代 ―戦時下「防諜社会」
十五年戦争期の輿論指導と報道統制
「加害」の国ドイツの「被害」を考える
満蒙開拓青少年義勇軍と八紘舎・日輪舎
「図書館の自由に関する宣言」考
児童文学の中の「戦争」 ―戦争を子どもたちに伝える―
検閲されたペンフレンドからの手紙
CCD(検閲)で、なにがわかったか
占領期のGHQ検閲
幡多地区「戦没者慰霊碑」のもつ問題点をめぐって
資料 幡多小学校慰霊碑問題
「戦没者」という用語
『慟哭の大地』
樹高千丈、落葉帰根
シーソーゲームの「孤児」訴訟
[資料] 中国「残留孤児」国家賠償請求訴訟
祖国の母を捜し求めて
鳥取県における「国民保護」の先導的取り組みとその特徴
そっと始まった岡山での「国民保護」訓練
「空爆(空襲)」について考える
戦争は起こすもの 「原発」地元住民の疑問に応えて
―紫電改と水島航空機製作所現図班と部品工程表を追う―
―航空機生産の最前線を掘り起こす―
書評 「あいだ」に立つことの困難
―水島航空機製作所の「協力工場」となった倉敷紡績―
「靖国」と「9.11」―高橋哲哉氏の「ただの人間」論―
書評 わたしたちは、アジアにどう向きあおうとするのか
「教育三法」と学校のゆでガエル化
書評 「あいだ」に立つことの困難
史料紹介 『白熱聖戦』とその時代
教育基本法「改正」をめぐる岡山の動き
かくして陸軍山砲隊武田曹長、生還せり
「美しい国」の「あいまいさ」
いつまでも続く「困惑」
"風評被害"~原発震災と十五年戦争~
―映画『キャタピラー』論―
映画評『太平洋の奇跡―フォックスと呼ばれた男』
NPT再検討会議関連のNY行動に参加して
原爆投下の裏舞台-ウオール街と国務省の攻防
「天皇制の存続」こそすべて―再認識
もう一つの「併合」
中国東北部を旅し
反戦のシンボル、タイメン鉄道を世界遺産
「戦争はイヤ!」一人ひとりが"今"声を出すとき
有事関連法案は国家総動員体制復活の第一歩
ゆきゆきて止まらざる心がりんりんと高鳴る
「無告の民」の語り部として
光る、コスタリカと「小国主義」
エジプト雑感
「悲しみ」をいかに分有するか
元田舎教師の戦中回顧
動員記 ―ある女学生の記せる―
戦争末期の国民学校の記録 『多田小学校学校日誌』紹介
一軍国少年の終戦まで
生(なま)人参の味 ―私の岡山空襲体験―
オレの日本原演習場
わたしの昭和史「国民学校時代をふり返って」
私が国民学校一、二年生のとき おこなってきたこと
僕の知らない戦争があった
生かされて生きる歓び
無残な"死出の穴"づくり
一兵士のみた戦争の素顔
精神の動員
「治安維持法」で弾圧された岡山の人たち
神社
元海軍陸戦隊兵士の体験画
農村青年の日記
第10連隊連隊砲中隊の日記から
一年間の暦
学校
日比製錬所への中国人強制連行
『岡山の記憶』
『太平洋戦争で私のたどった道』
『総動員の時代』
『岡山郷土部隊は何をしたか』
中国人強制連行の軌跡―「聖戦」の墓標 [単行本]
夢に駆けた―治安維持法下の青春
グラフィック・レポート 昭和史の消せない真実―ハルビン・南京・泰緬鉄道
ガマに刻まれた沖縄戦 (母と子でみる)
鎖された大地―満ソ国境の巨大地下要塞 -上羽修写真集-
『岡山の記憶』第13号
「美しい国」の「あいまいさ」
「加害」の国ドイツの「被害」を考える
いつまでも続く「困惑」
かくして陸軍山砲隊武田曹長、生還せり
満蒙開拓青少年義勇軍と八紘舎・日輪舎
「戦没者」という用語
「図書館の自由に関する宣言」考
NPT再検討会議関連のNY行動に参加して
映画『キャタピラー』論
映画評『太平洋の奇跡―フォックスと呼ばれた男―』
〝風評被害〟 ~原発震災と十五年戦争~
〝壁の物言う〟 時代 ―戦時下「防諜社会」―
地図で読む戦時期の岡山(1)
「天皇制の存続」こそすべて―再認識
十五年戦争期の輿論指導と報道統制
もう一つの「併合」
原爆投下の裏舞台-ウォール街と国務省の攻防
『岡山の記憶』第12号
童文学の中の「戦争」 ―戦争を子どもたちに伝える―
検閲されたペンフレンドからの手紙
CCD(検閲)で、なにがわかったか
占領期のGHQ検閲
『岡山の記憶』第11号
ブックレヴュー「空爆(空襲)」について考える
資料・幡多小学校慰霊碑問題
幡多地区「戦没者慰霊碑」のもつ問題点をめぐって
岡山での「国民保護」訓練
『岡山の記憶』第10号
「教育三法」と学校のゆでガエル化
シリーズ 中国「残留孤児」国家賠償請求訴訟
六十年前の倉敷・水島 ―航空機生産の最前線を掘り起こす
[資料] 中国「残留孤児」国家賠償請求訴訟
戦時期、平和産業から軍需産業への強制転換
元田舎教師の戦中回顧
『慟哭の大地』―岡山県龍爪開拓団の跡地を訪ねる旅―
中国東北部を旅して
樹高千丈、落葉帰根
「あいだ」に立つことの困難
『岡山の記憶』第9号
―紫電改と水島航空機製作所現図班と部品工程表を追う―
一軍国少年の終戦まで
祖国の母を捜し求めて
戦争末期の国民学校の記録 『多田小学校学校日誌』
「靖国」と「9・11」 ―高橋哲哉氏の「ただの人間」論―
動員記―ある女学生の記せる―
教育基本法「改正」をめぐる岡山の動き
わたしの昭和史「国民学校時代をふり返って」
鳥取県における「国民保護」の先導的取り組みとその特徴
私が国民学校一、二年生のとき おこなってきたこと
戦争は起こすもの 「原発」地元住民の疑問に応えて
オレの日本原演習場
昭和十四年の農村を考える 北本通哉・幸枝の日記「農村青年の一年」から
随想 生(なま)人参の味 ―私の岡山空襲体験―
反戦のシンボル、タイメン鉄道を世界遺産に 永瀬 隆さん
書評 わたしたちは、アジアにどう向きあおうとするのか
「戦争はイヤ!」一人ひとりが"今"声を出すとき
『岡山の記憶』第8号
『岡山の記憶』第7号
『岡山の記憶』第6号
「陣中日誌」研究 その2
とまらざる心が りんりんと高鳴る
僕の知らない戦争があった ―ナガセからの伝言―
生かされて生きる歓び
『岡山の記憶』第5号
「陣中日誌」研究 その一
『岡山の記憶』第4号
岡山郷土部隊と白洋淀
『岡山の記憶』第3号
『岡山の記憶』第2号
『岡山の記憶』第1号